【「子供の挑戦」✕「家族チーム」】川澄奈穂美さん編<中編> 「サッカーとの出会い、そしてブレずに持ち続けた夢と世界への意識」

【「子供の挑戦」✕「家族チーム」】川澄奈穂美さん編<中編> 「サッカーとの出会い、そしてブレずに持ち続けた夢と世界への意識」

インタビュー

 弊社が提供する、子どもの習慣化を家族で応援するアプリ「Welldone!」にちなんだ”子どもの挑戦 × 家族チーム”と題したインタビュー(対談)シリーズ第2弾となる「川澄奈穂美選手」へのインタビュー、今回はその中編をお届けします。

日本中を熱狂させた2011年ワールドカップ優勝を経験した川澄選手の幼少期を振り返っていただきました。サッカーとの出会いや家族との関わり方まで幅広くお話いただきましたので、是非ご一読ください。

前編はこちら

<プロフィール>

2011FIFA 女子ワールドカップ(W杯)優勝メンバー。

日本体育大学からINAC 神戸レオネッサに入団。ストライカーとして2011年~2013年のなでしこリーグ3連覇に貢献。リーグでもMVPや得点王をはじめ、オールスターやベストイレブンにも選出されるなど、日本女子サッカー界の主要選手となる。

日本代表としてはW杯、ロンドンオリンピックに出場し、チームとして国民栄誉賞を受賞。

2014年より女子サッカーの本場、アメリカのナショナル・ウーマンズ・サッカーリーグ(NWSL)に活躍の場を移し、2022年には日本人選手の最長となる8シーズン目を迎えるなど国内外で活躍を続けている。

サッカーとの出会い、そしてブレずに持ち続けた夢と世界への意識

ここまで、印象深い2011年のワールドカップ優勝のときのエピソードを中心にお話をしていただきましたが、少し時間を遡って、川澄さんのサッカーとの出会い、始めたきっかけなどについてお聞かせいただけないでしょうか。

川澄

サッカーを始めたきっかけは、3つ上の姉の影響が大きかったです。私が幼稚園生で姉が小学生だった時に、父に社会人サッカーの試合を観に連れて行ってもらい、そこで姉がサッカーに興味を持ち、林間レモンズという女子サッカーチームに通い始めました。そのチームに入れるのは小学2年生からだったため、私は姉の練習を見に行って、グランドの端っこで砂遊びをしたり、遊具で遊んだり、たまに転がっているボールを蹴ったりしていました。そして、だんだんボールを蹴ることが楽しくなっていって小学1年生の頃から「2年生になったらチームに入れるんだ」と思うようになり、何の疑いもなく2年生から姉と同じチームに入ってサッカーを始めました。
先ほど、お父さんがサッカーの試合を観に連れて行ってくれたというお話がありましたが、いろいろなことを観たり、体験することが多いご家庭だったのでしょうか。

川澄

そうですね。父はアウトドアが好きで冬は毎年スキーに行っていましたし、2~3歳くらいのときから水泳も習っていました。あとはキャンプも好きだったので、小学生時代は家族でよく行っていましたし、スポーツが好きな家庭だったので、いろいろなことを体験させてもらったのかなと思います。
お父さんはお姉さんや川澄さんが興味がありそうなものを選んでいたのでしょうか?

川澄

どうなんですかね。たぶん父は自分が興味あるところに連れて行っていただけだと思います(笑)
ただ、姉も含め自分が興味をもってやってみたいと言ったことはやらせてくれましたし、こうやって続けさせてくれましたね。
小中学校の頃の川澄さんはどんなお子さんだったんですか?

川澄

ちびまる子ちゃんみたいな子でした(笑)本当に天真爛漫で、通知表には必ず「明るく活発な子」と書かれる子でした。周りの友達との関係でいうと、どちらかといえば自分が先頭に立って大声を出して引っ張っていくタイプでしたね。
そういった特性は、サッカーのキャプテンにも活かされているんですかね。

川澄

そうですね。小学6年生の時もキャプテンをしましたし、高校生の頃もキャプテンをやってましたね。
当時のサッカーとの向き合い方は、どのような感じでしたか?

川澄

小学生の頃には既に「サッカー選手になりたい」という夢は持っていて、小学6年生の卒業文集にもそのように書いてましたね。それが中高生になっても変わることはなかったです。ただ、小学生の頃は自分の立ち位置とかも分からず、U-12の世代別代表などもあったのかもしれないですが、そういったものにもまったく絡むこともなく、中学に上がるタイミングでもベレーザの下部組織のセレクションを受けたのですが、それも落ちてしまい、どこでサッカーを続けようか…という状況でした。そんな中、小学生の頃に入っていた林間レモンズの監督だった方が代表となり、周りの保護者の方と一緒になって大和シルフィードというチームを作ってくれて、そのチームでサッカーを続けることができました。弥栄高校時代も女子サッカー部に入っていましたが、半分以上が初心者というような環境でやっていました。それでも、サッカー選手になりたい、日本代表になりたいという想いは常に持ち続けていて、どんな相手と練習していても、今思うとすごい勘違いしていたんだなと思いますが、常に世界を意識してプレーしていました。
私もPTAなどの活動を通して、いろいろなお子さんと関わることがあるのですが、目標が現実的すぎる子どもも中にはいて、統計データでも、将来なりたい職業で「正社員」といった回答も中には見られる。一方で川澄さんは中学生に上がるときにベレーザの下部組織のセレクションに落ちてしまっても、常に世界を意識してサッカーを続けた姿勢というのは川澄さんの強みなのではとお話を伺っていて感じたのですが、そのあたりいかがでしょうか?

川澄

それはすごく思いますね。日本人ってすごくポジティブな人って1割くらいしかいないらしくて、今でもすごい覚えているんですが、私が高校生の時に授業でクラス40人くらいがいる中で先生が「自分のことをポジティブだと思う人?」と聞いた時に手を挙げたのが私だけだった。それくらい日本人はポジティブな人が少ないというのは実感しました。昔から自分にとって都合の良い考え方をすることは得意でしたね。
先ほど、川澄さんをはじめとするワールドカップの優勝メンバーが勇気を与えたという話がありましたが、周りに勇気を与えるのはポジティブな姿勢、前向きな姿勢というのが背景にあったのかなと感じました。

川澄

そうですね。人って脳で動いているので、脳を勘違いさせるというのも一つの手かなと思っています。自分がダメだ、ダメだと思ったりとか、ミスするかもと思ってしまうと、ミスにイメージがいってしまって本当にミスをしてしまう。できるイメージをするというのもすごく大切で、実際に動いている時と、動いている人を見ている時と、自分が動いているイメージをしている時とで使っている脳が一緒らしいので、イメージトレーニングが大事というのもそういうことかなと思っています。良いイメージを持つというのを意識しないとできない人もいるかと思うのですが、私自身は元々そういう思考の人間だったなというのは成長していっていろいろな人に出会っていく中で思いますね。
それはお父さんやお母さん、お姉さんとか家族の環境というか家族の性格が影響していたりするのでしょうか?

川澄

もしかしたらそれはあるのかもしれないですね。一部のデータによると、子どもの性格に与える影響って5割は遺伝子で決まっていて、1割は親の影響で、残りの4割は環境で決まるらしいのですが、うちの場合はその環境を作ってくれたのは親だなと思うので、一概に親の影響が1割だなとは思わないですかね。
今思うと、すごくのびのびと育ててもらったし、それが良いか悪いかは分からないですけど、いつも肯定してくれていたのでこうやって自信をもって挑めたのかなと思います。人によっては何か言われて「何くそ!」と思ってやれる人もいるかと思うんですけど、うちの両親は「なんでそんなこともできないの」などと言われることもなく、「今日これできたね!」とか「これ良かったね!」とかそういう話をしている記憶がすごくあります。そうやって言ってもらえると「もっと頑張ろう!」って思うタイプの子どもでしたね。
その「よくできたね!」などの声かけは、試合なのか日々の練習に対してだったのか、このあたりはいかがでしょうか?

川澄

練習はあまり見に来てもらう機会がなかったので、プレーを見てもらうという意味では試合が多かったですね。試合の中でできたことを言ってもらうことがすごく多かったなとは思います。
先ほどのお話を聞いていた中で、家族との日常の会話が豊富だなという印象を受けたのですがいかがでしょうか?

川澄

我が家は朝食は家族みんなで食べるという習慣があったり、父も比較的時間通りに帰ってくる仕事だったので、とにかく食事で家族が集まれる時はみんな一緒にということが多かったです。なので家族での会話はすごく多い家庭だったんだなというのは大人になってから感じています。
お父さんやお母さんに今でも感謝しているエピソードなどがあればお聞かせください。

川澄

私が今大人になってすごく感じることは、子どもをどういう環境に入れるかっていうのは親次第だと思うんですよ。なので子どもがどんなにサッカーをやりたい、この子は才能がありそうだねってなったとしても親がやらせてくれなければ一切できないわけで…。そういった意味では、いい環境を準備してあげるというのが親の最大の子どもに対する手助けというか、親ができる最大限のことなんじゃないかなって思います。子どもがやりたいと言ったことに対してやらせてもらえるかどうかは親次第になってしまうと思うので、私の場合はそれをやらせてもらいましたし、今思うとやっぱりお金もかかることなので、それは大変感謝しています。子どもがやりたいっていうことには最大限向き合うという姿勢でいてくれたんだろうなというのは感じるので、すごくラッキーな家庭に生まれたなと思いました。