【「子供の挑戦」✕「家族チーム」】岡田麻央さん編<前編> 「家族で囲んだ食卓がわたしの人格形成の原点」

【「子供の挑戦」✕「家族チーム」】岡田麻央さん編<前編> 「家族で囲んだ食卓がわたしの人格形成の原点」

インタビュー

 弊社が提供する、子どもの習慣化を家族で応援するアプリ「Welldone!」にちなんだ”子どもの挑戦 × 家族チーム”と題したインタビュー(対談)シリーズの第1弾は、女子実業団バスケットボール選手から、モデルやタレントに転身し、女子バスケを通じた社会や未来への貢献をMissionにした株式会社サクラカゴを起業した岡田麻央さんにお話をお伺いしました。

 未来を予測しにくい昨今だからこそ、偶然の出会いから新たな展開を生み出す「セレンディピティ(※1)」が人生や運命を大きく左右する時代です。華麗な転身を重ねる岡田さんもセレンディピティによって運命が広がった方ではないでしょうか。

 本記事では、岡田さんのバスケとの出会いから現在のキャリアまで、どのような出会いや経験があったのか、将来を夢見るお子さんや子どもの夢を応援したいと思っているご家族など、多くの方に是非読んでいただきたい内容となりました。なお本記事はインタビューの内容を余すことなくお伝えするため、前・後編の2部作でご案内いたします。

※1:セレンディピティ(英語: serendipity)とは、素敵な偶然に出会ったり、予想外のものを発見すること。また、何かを探しているときに、探しているものとは別の価値があるものを偶然見つけること。ふとした偶然をきっかけに、幸運をつかみ取ること。

岡田麻央(おかだ まお)

3×3プロバスケットボール選手。TOKYO.B.B所属。ポジションはシューティングガード。

女子バスケの「価値」と「影響力」の向上を目指し、女子バスケを通じて社会や未来に貢献することをMissionとした株式会社サクラカゴの代表取締役。 

高校卒業後トヨタ紡績サンシャインラビッツに入団。5年目にW1リーグ優勝を果たし、その後に副キャプテンを経て26歳で引退。引退後はモデルやタレント、リポーターなどの芸能活動を開始。2018年の夏、国内初のバスケットボール3×3女子リーグが開幕した際、選手として復帰。2019年の秋、サクラカゴを設立。女子バスケットボールのプロモーション活動を多岐に渡って行なっている。

その一方、YouTubeチャンネル【TOKYO HOOP GiRLS】の運営や、全国各地のバスケットボール部やバスケットのクラブチームを対象としたクリニック活動に積極的に取り組んでいる。

「好奇心と考える癖」は、家族との食卓で育まれた。

株式会社サクラカゴにて岡田さんと弊社鈴木

鈴木

お話をお伺いする前に、日本バスケットボール協会が主催する『3×3 JAPAN TOUR 2021 EXTREME』のシーズンチャンピオン、おめでとうございます!さらに大会MVP獲得、素晴らしいですね!おめでとうございます!

岡田さん

ありがとうございます。この2年で試合や練習を重ねて、日本一になれるかもしれないって自信がありました。みんなの気持ちもまとまって実現した優勝です。
26歳の時に5人制の女子実業団バスケットボールをご引退されて、その後、タレントやモデル、さらにはご自身でサクラカゴを設立し、さらに現役の3×3の現役選手。しかもチャンピオンとMVPのW受賞は、本当に凄いことです。
今日は、多方面で活躍される岡田さんに「夢や目標の実現」をテーマに、子ども時代から現在に至るまでのお話をいろいろとお伺いし、子どもたちやご家族の方にメッセージを頂戴したいと思います。

岡田

はい、精一杯お伝えしたいと思います。
早速ですが、岡田さんが小学生の頃は、どのような子どもでしたか。

岡田

とにかく好奇心旺盛で、なんでもやりたい子でした。
ソフトボールや学級委員長をはじめ、色んなことに取り組んでいました。小学生時代の誇りとして「誰とでも仲良くて、なんでもできた」という自負があります。愛知県の「生徒の鏡賞」的な賞を頂いたのもこの時期でした。そして一番のモテ期でした。勉強も運動も音楽も美術も好きで、夢も無限に広がっていました。両親は文化系だったんですが、将来の夢はケーキ屋さんやお花屋さん、イルカの調教師や紅白の司会者など、いろいろ夢見てました。その中でも学校の先生への夢は、割と本気で考えていました。
面白いですね。なぜ、やりたいことや夢が無限に広がったのでしょうか。

岡田

やっぱり家庭環境が大きく影響していたと思います。私の家族は楽観主義というか、どんな状況でもどんな些細なことでも楽しめるDNAというか。経済的に大変な時でも、家族で食卓を囲みながら、恋愛以外の会話を弾ませてごはんを食べていた記憶があります。例えば「月はなんで追っかけてくるの?」といった子どもの疑問にも両親は楽しく会話に乗ってくれましたし、自然と好奇心や探究心が養われたんだと思います。
また私にはお兄ちゃんと弟、妹がいますが、それぞれが登山やサッカー、生徒会や芸術活動など、それぞれがその時々で興味を持ったことに取り組む機会を応援してくれました。兄弟・姉妹の個性を尊重しながら、いろんなことへの挑戦をサポートしてくれた両親に心から感謝しています。

「成長実感と連帯感、尊敬と感謝」が原動力。心からバスケが好きだから。

鈴木

素敵なご家族ですね。そのような中、岡田さんはバスケットボールに熱中したんですよね。

岡田さん

バスケは小学4年生の時の学校の部活動がきっかけです。3~6年生まで、地域のソフトボールクラブチームに入っていたんですが、直射日光がすごく嫌いで(笑)、部活に入るとしたら室内のスポーツがいいなぁ、くらいの気持ちからです。
ちょっとしたことから岡田さんのバスケットボール人生が始まったんですね。

岡田

先生からも入部を勧められていましたが、始まりは縁もゆかりもなくはじめました。取り組んでみると戦術性が高く、相手の戦術やプレーを予知して、チームメイトに指示を出しながら展開していくバスケットボールは、考えて動くことが大好きな私にとって相性の良い競技だったと感じています。
バスケットボールを始めた当初は、いかがでしたか。

岡田

小学5~6年生の頃が一番きつかったです。
夏でも体育館を締め切って過酷な練習に取り組んでいました。過呼吸になるくらい走りまくってましたし。とんでもなくきつかったけど、私も仲間もバスケが上手くなっていく感覚があったので、乗り越えられたんだと思います。あと、上達すると先生や両親が褒めてくれましたしね。練習の成果はバスケの大会での勝利に加えて、マラソン大会でもバスケ部員が1~10位まで独占するといった成果にも表れました。あの練習を乗り越えたから今がありますし、大抵のことはあの頃より楽だって思えるので、今でも挑戦の原動力になっていますね。
成長を実感すると、辛いことも楽しく感じますもんね。
そして温かく見守り、褒めてくれる人たちの存在は大きいですよね。

岡田

そうですね。過酷な練習をしていた時に、父が忙しい合間を縫って車で送迎してくれたことは今でも感謝しています。大会は常にビデオ撮影してくれましたし、試合での活躍の様子を喜んでいる両親の姿は、純粋に励みになりました。
今でも尊敬している先生方に指導してもらったことも感謝しています。中学クラブチームの先生には「一人前の選手である前に、一人前の人間になれ」と、練習への臨み方から私生活の礼儀やマナーなど、人としてのあり方を常に説いてくださりました。
ご両親への感謝と、先生方への尊敬のお気持ちがとても伝わってきます。

岡田

高校の部活の先生も心から尊敬しています。高い目標に向けてクレイジーとも言えるような練習を繰り返すことで、チームメイトとの信頼関係はとても深まりました。時に先生が仮想敵のようになることで生徒同士の結束が強くなり、先生に立ち向かっていくこともありました。が、先生の深い情熱と愛情を感じていましたので、先生との結束も深まりました。今でも先生とはより良いお付き合いをさせてもらっています。
学生時代に素晴らしい先生や仲間との出会いがあり、ご自身の志向にあったバスケに出会ったんですね。

岡田

バスケットボールがただただ好きで、面白くて、上手くなりたくて。
そして何より試合が超好き!でした。練習が厳しくても試合で楽しむために上手くなりたかった。どんなに厳しい練習を重ねても、学生時代にバスケを辞めたいと思ったことは無かったです。
実業団でプレーすることは、その頃から考えていたのですか。

岡田

大学進学も考えていたのですが、高校2年生の時から熱心に誘ってくださる実業団があり、社員採用だったので「バスケットしながらお金もらえるなんてラッキー!」くらいの感覚でした。家庭の経済事情もありますし、お昼くらいまでは普通に働いてその後にプレーするという1日だったので、バスケが好きな私にはいいなって思って。正直、それがバスケ選手になるってことだと分かってなかったくらいです。

「怪我による暗黒時代」があったから、迷いのない吹っ切れたプレーができた。

鈴木

実業団チームに入ってからはどうでしたか。

岡田さん

いきなりスターターになったのも束の間、怪我で暗黒時代を迎えました。
もうちょっと詳しく聞かせてもらえますか。

岡田

どのチームが強くて凄い選手が誰なのか、正直よく知らずに入団しました。
週一で休みはあるし、練習も学生時代に比べたらきつくないし。一年目は怖いもの知らずでプレーしていた結果、スターターの先輩の怪我などもあり、スターターに選ばれていました。それも束の間、ヘルニアを患ってしまって、2~4年目は試合に出たり出れなかったり。その頃が私にとって暗黒時代で、初めてバスケを辞めようと思いました。
とんとん拍子で進んでいたところに、大きな怪我という逆境に遭遇してしまったんですね。

岡田

流石にその時期は本当に辛くてバスケを辞めたいって思いました。
ただバスケを辞めた後の生活や人生を冷静に見つめ直してみると、バスケを辞めてしまったら何も無くなってしまうのではないかという不安を感じました。冷静に自分を見つめるとまだ若いし、このまま終わっていいのかって思いが芽生えてきました。ちょうどそのとき、NBAに理想とする選手も見つけ、試合に出れなくてもその選手に近づけるように練習や自主練に熱が入るようになりました。
逆境の場面で、振り切れたんですね。

岡田

その時期は、納得いかないことや不満に感じることもありました。
それでも腐らずに全力で自主練に取り組んだ結果、5年目に再びスターターに復帰できました。試合に出してもらえた時にも、消極的なプレーでミスして交代させられるくらいだったら、悔いのない理想のプレーを全力で楽しんでやろうって思えて。その後、W1で優勝してベスト5にも選出されました。逆境でも腐らずに取り組むことで、自ら状況を好転させられることを学びましたし、精神的な強さを鍛えることができました。この経験は逆境を乗り越える自信となっています。
試合でミスを恐れずに思い切ったプレーができたのはなぜでしょう。

岡田

怪我の影響もありますが、調子が良くないと思い込み、自信が持てない試合では、 ミスをして交代させられるのが怖くて消極的なプレーをし、結果ミスをするか、何もしないから交代さられていました。そのような試合を重ねてしまっていたある時、「なぜ、私はバスケに取り組んでいるのか」を考えました。

私がバスケをするのは、バスケが好きだから。上手くなりたいから。理想のプレーヤーになりたくて練習に取り組んでいるのに、試合での消極的なプレーはその本質から外れてしまいます。本質に向き合うことで、自分の得意・不得意を客観的に捉えた上で、効率的な練習メニューを計画・実践し、そこで身につけた技術を試合で余すことなく全力で発揮する。それでミスしたらしょうがない、やりきったらそれでいいと思うようになりました。考え方が大きく成長した経験でした。